【技術の物語|Episode 2】成功の中で芽生えた最初の違和感

その会社は、新潟の大手企業グループの
100%子会社として誕生しました。
しかも異例の形で――
創業者オーナー自らが会長を兼務する。
期待の象徴。
特別扱い。
華やかなスタート。
地下水膜処理の汎用化。
それが最初の旗でした。
いくつものシステムを設計し、
グループ内施設の調査を重ね、
十数件の見積を提出。
「これを実行する」
それが初期方針でした。
しかし――
実施段階で
「安全性」
「前例がない」
「責任の所在」
幹部たちの慎重論が次々と出てきます。
計画は止まりました。
途方に暮れる中、
私はもう一度、グループ内の大型施設を徹底調査しました。
そこで見えたのは、
水道料金よりもはるかに大きな
空調と給湯のエネルギーコスト。
地下水は年間を通して約15度。
この“安定した熱”を使えばどうか。
当時、ヒートポンプには補助金がありました。
公益施設なら補助率50%。
グループには老人ホームをはじめ
公益施設が多数ある。
「ここから始めよう。」
地下水ヒートポンプシステムは
こうして誕生します。
既存のボイラーや冷凍機システムの
“心臓部”だけを変える。
配管も室内機もそのまま使える。
コストは抑えられ、
エネルギーは50%以上削減。
当時としては、先進的なモデルでした。
1億円規模の案件が動き、
ゼネコン研究所の次世代モデルにも採用。
ニュービジネス大賞。
政府系銀行の出資。
外から見れば、成功でした。
しかし――
工事は簡単ではありませんでした。
設備機器が半分、工事が半分。
資格や現場管理体制も整いきっていない。
協力業者との関係も未成熟。
初期トラブルがいくつか発生します。
乗り越えられるレベルの問題。
だが幹部たちは違いました。
「危ない」
「拡大は早い」
「まずは縮小して安全に」
慎重論は、やがて方針へと変わります。
新潟中心。
限定展開。
守りの経営。
私はその時、すでに見えていました。
これを磨けば、
世界に通用する環境エネルギーシステムになる。
グループ全体を超える可能性すらある。
だが――
オーナーには、それが見えていなかった。
あるいは、
見ようとしなかったのかもしれません。
この事業は
「グループの未来」ではなく、
「オーナーの数ある事業の一つ」になっていきました。
私は開発者でありながら、
裏で操る危険な存在として警戒される。
若き社長と何度も話しました。
「ここでは、本来の形に育てられない。」
そして決断。
まず私が去る。
一年後、若き社長も独立。
成功の中の違和感は、
やがて決別へと変わりました。
けれど――
この時に導入した大型施設。
残った図面。
完成したモデル。
それは今も、
私たちの“財産”です。
挫折の中で、
一つの宝は確実に育っていました。
そして、物語は
次の章へ進みます。
この物語は、
単なる過去ではありません。
世界に出るはずだった技術は、
今も進化を待っています。
この物語の続きを、
共に創る登場者を、私たちは探しています。
つづく




