【技術の物語|Episode 3】 ― 決別と再出発 ―

新潟の大手企業グループ100%子会社として、事業化に取り組んだ期間は三年に及びました。
その間、私は自らの事業家というよりも、一人のサラリーマンのような立場になっていました。
かつて掲げた「新潟への夢のかけ橋」という旗も、静かに降ろされていきました。
若き社長は、グループオーナーから高く評価され、二代目体制の側近候補として残る道がありました。
社員一万人規模の大企業の幹部へ。多くの人が迷わず選ぶであろう道です。
しかし彼は違いました。
彼が選んだのは、安定ではなく「未完成の事業」でした。
「この技術を完成させたい」
一年間のお礼奉公を終え、彼は退社。私は非常勤技術部長という立場を離れ、再び自らの技術コンサル会社へ戻ります。
だが、物語はここで終わりません。
新潟での会社設立初期、奇跡のような出会いがありました。
若き社長と同世代。工業系大学で建築を学び、明るく、優秀で、行動力のある女性。
ブログの読者は300名。電力会社研究所で50名を前に堂々と技術説明をこなし、大手企業の役員クラスにも信頼される存在。
私は彼女を営業部長に抜擢しました。
そして、私が新潟を去る際、彼女には起業できる力があると確信し、共同で会社を設立します。
資本金1,000万円。彼女が500万円、私が500万円。
社名は――株式会社アクアノエル。
ノエルは「誕生」という意味。
技術の第二の誕生でした。
設立直後、政策金融公庫から1,000万円の融資。
東京本社で事業は順調に立ち上がり、大手企業との契約も獲得。
しかし、運命は再び試練を与えます。
彼女が病を得ました。
私は一時的に経営を引き受けます。
そしてその頃、若き社長が独立を決断します。
彼が社長に就任。私は持株すべてを彼に譲りました。
創業社長である彼女は経営から離れ、株式は毎年、彼が買い取る形へ。
私は一歩引き、彼の部下として、技術顧問として、開発を担う立場を選びました。
それは「敗北」ではありません。
譲ることで、技術を生かす道を選んだのです。
この会社の中で、現在の標準機シリーズは完成していきました。
決別は終わりではない。
それは、本当の独立の始まりでした。
技術は、組織に縛られたときではなく、覚悟のもとに解き放たれたとき、再び動き出します。
次回――標準機誕生と、その裏にあった試行錯誤。
この物語の続きを、共に創る登場者を、私たちは探しています。



