第6章 祖母のぬくもり

私の母は勝気な性格で、恋多き女性だった。
結婚は三度している。
最初の結婚相手が私の父だ。
この人との思い出はほとんどないが、国鉄の労働組合に関わり、市会議員も務めた人だったと聞いている。
二人目の夫は大きなホテルの支配人をしていた人で、通訳の一級資格を持つ優秀な人物だった。
三人目の夫もまた旧家に生まれた優秀な人で、地元の会社を数百人規模に育てた経営者だった。
しかし母は、どこか弱いところもあった。
人間関係の中で借金を抱えたりし、生活は決して安定していたとは言えなかった。
母は私が結婚して間もない頃、
五十代半ばで癌で亡くなった。
そんな家庭の事情もあり、
私は祖母の家で育てられた。
祖母はその地域でも信頼されている人で、
人望の厚い女性だった。
祖母の家は八百屋を営んでいた。
中学生の頃、休みの日には祖父に連れられて市場へ行き、
自転車の後ろにリヤカーをつないで野菜を運ぶ手伝いをしたことを覚えている。
祖父は穏やかな人で、私が強く叱られた記憶はあまりない。
ただ酒が好きで、夜になると近くの酒屋へ量り売りの酒を買いに行くのが、いつの間にか私の役目になっていた。
祖母の家の近くには裕福な家があり、そこには二人姉妹の幼なじみがいた。
その妹とは後に淡い恋をするのだが、それは実らない初恋だった。
祖母との思い出で特に心に残っているのは、
七夕の頃の商店街だ。
大きな笹を買い、色とりどりの飾りをつける。
祖母は折り紙で宝船を作るのがとても上手で、
その見事さは商店街でも評判になるほどだった。
子供心に、私はそれが誇らしかった。
しかし、何よりも忘れられないのは
祖母のやさしさである。
私はとても体が弱く、
薬の錠剤を飲むことさえできなかった。
錠剤でしかない薬もあり、祖母はそれを金槌で細かく砕き、
砂糖と混ぜて飲ませてくれた。
喘息の発作が起きる夜は、祖母は医者を呼びに走り、
帰ってくると一晩中私のそばに座り、
背中をさすってくれた。
息ができなくなる恐怖の中で、
祖母の手の温もりだけが
私を安心させてくれていたように思う。
病気で寝ているとき、
祖母はいつも桃の缶詰を用意してくれていた。
どんなに体がつらいときでも、
不思議と桃だけは食べることができた。
甘い桃の味は、
今でも祖母の優しさと一緒に思い出される。
そんな祖母に、
ある日メバルを釣って帰ったことがある。
海で釣れたその魚を祖母に見せると、
祖母はとても喜んだ。
祖母はそれを煮つけにしてくれた。
自分では身をあまり食べず、
骨からとった出汁のスープをおいしそうに飲んでいた。
「このスープが一番おいしいんだよ」
そう言って笑っていた祖母の姿を、
私は今でもはっきり覚えている。
祖母は再婚しており、
母はその前の結婚の連れ子だった。
その後に生まれた叔母と叔父は、
二人ともとても優秀な人だった。
特に叔父は、小学校でも中学校でも
常に全校一番と言われるほどの秀才だった。
そんな家庭の中で、
私と姉を引き取ることは決して簡単なことではなかったはずだ。
それでも祖母は、
私たちを家族として迎え入れてくれた。
叔母も叔父も優しく接してくれた。
それは祖母の人徳があったからなのだと思う。
祖母は私が高校生の頃、亡くなった。
そのとき、
長男である叔父が祖母の亡骸の前で
声をあげて泣いていた。
あれほど優秀で冷静だった叔父が、
子供のように泣いていた。
それほど祖母は
家族にとって大きな存在だったのだ。
もし祖母がいなかったら、
私は孤児院で育っていたかもしれない。
今、私にできることは多くはない。
ただ仏壇に水を供え、
線香をあげることくらいだ。
霊界では水が最も貴重だと聞いたことがある。
だから私は今日も
祖母に水を供える。
あの優しかった祖母が、
どこかで私たちを見守ってくれているような気がするからだ。



