子どものころ、私は体の弱い少年だった。 
喘息に苦しみながらも、祖母のぬくもりに支えられて育った。 

やがて成長し、青年になるころ、 
私の心の中には一つの思いが芽生えていた。 

人はなぜ生きるのだろうか。 

子どものころから、 
命の苦しさや弱さを身近に感じていた私は、 
自然とそんな問いを考えるようになっていた。 

そしてその頃、 
私は教会と出会う。 

教会は静かな場所だった。 

そこには、 
日常の慌ただしさとは違う、 
落ち着いた時間が流れていた。 

人は祈り、 
静かに自分の心と向き合う。 

その空気に、 
私は不思議な安心感を覚えた。 

やがて私は、 
神父という道を意識するようになる。 

人のために生きる道。 
苦しむ人を支える道。 

それは当時の私にとって、 
とても尊い生き方のように思えた。 

しかし現実には、 
その道は簡単なものではなかった。 

人生は思うようには進まない。 

進もうとしていた道が閉ざされることもある。 

私もまた、 
人生の中で挫折を経験することになる。 

けれど今振り返ると、 
その経験もすべて、 
人生の流れの中にあったのだと思う。 

人は時に、 
遠回りをする。 

けれどその遠回りの中で、 
大切なものと出会うことがある。 

私の人生もまた、 
そのような旅だったのかもしれない。 

教会との出会いは、 
私にとって人生の大きな転機だった。 

それは信仰という言葉だけではなく、 
人としてどう生きるかを考えるきっかけでもあった。 

人は一人では生きていけない。 

誰かに支えられ、 
誰かを支えながら生きている。 

祖母のぬくもりに守られてきた少年は、 
少しずつ外の世界へと歩き出していった。 

そしてその旅の中で、 
私はさらに不思議な出会いを経験することになる。 

それは後に、 
人生の中でも忘れることのできない場所となる。 

野尻湖。 

そこには、 
私の人生の物語の中で 
特別な意味を持つ出来事が待っていたのである。 

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