第3章 魚と海の時間

小学校のころ、
私の遊びのほとんどは魚釣りだった。
川や池に行くこともあったが、
一番よく通ったのは海だった。
家から海岸までは歩いて十分ほど。
特別な準備が必要なわけでもない。
ただ釣り竿を持って、
海へ向かえばよかった。
小遣いはほとんどなかった。
だから餌は、
前の日に自分で取りに行った。
海岸の砂を少し掘ると、
ゴカイというミミズのような生き物がいる。
それが魚の大好物だった。
小さな缶に入れて持ち帰り、
翌日の釣りの準備をする。
そんなことをしている時間も、
子供の私には楽しかった。
釣り方は単純だった。
リールのついた竿に
鉛と針をつけて、
遠くの海へ投げ込む。
だから岩の多い場所ではできない。
砂浜の広がる海岸で、
遠くへ投げて待つ。
やがて、
糸の先から小さな震えが伝わってくる。
その瞬間が好きだった。
海の向こう側から
何かがこちらとつながったような感覚。
静かな海の中で、
魚と自分が
一本の糸で結ばれる。
釣れる魚は
キスやコチが多かった。
ときどきメバル、
運がよければカレイ。
そして時には
オコゼも釣れた。
オコゼには毒がある。
刺されると大変だと聞いていたので、
子供ながらに慎重に針を外した。
海は美しく、
そして少しだけ怖い場所でもあった。
それでも、
ほとんどの日に
何匹かの魚は釣れた。
釣りをしているとき、
私はよく海を眺めていた。
広く、
果てしなく広がる水の世界。
波の向こうに
どこまでも続いているような海。
子供だった私は、
その景色をただ静かに見ていた。
飽きることはなかった。
釣りをしている時間も好きだったが、
海を眺めている時間も
同じくらい好きだった。
あのころの私は
まだ知らなかった。
この海と水が、
やがて自分の人生の中心になっていくことを。
ただ、
海の前に立っていると
なぜか
心が静かになった。
大きな水の前にいると、
人は自然と
小さな存在になるのかもしれない。
それが
心地よかった。
そして今でも、
私は海が好きだ。
今の家からも、
少しだけ海が見える。
以前は
海のすぐ近くに
マンションも持っていた。
休みの日には
そこへ行き、
海を眺めて過ごした。
そして今でも
変わらない習慣がある。
在宅で仕事をする日、
仕事が終わるころになると
日が沈む前に
妻と二人で車に乗る。
海岸沿いの道路を
ゆっくりと走る。
窓の外には
海が広がっている。
少年のころ、
釣り竿を持って
歩いて通った海。
その海は今も
変わらずそこにある。
人生の中で
多くのものは変わる。
仕事も、
人との出会いも、
時の流れの中で変わっていく。
しかし
海だけは
昔と同じように
そこに広がっている。
そして私は今も
その海を眺めながら
静かに思う。
もしかすると
私の人生は
あの少年の日の
海の時間から
すでに
始まっていたのかもしれない。



