The Path to Elemental Life Community - Chapter 7 - Life's Trials and the Miracle of a Wife

地元の繊維工場に勤めながら、私はまだ心のどこかで神父になる夢を持っていた。
もしそれが叶わないなら、せめて社会福祉の分野で人の役に立つ仕事をしたい。

そう思い、勉強を続けていた。

しかし人生は、思うようには進まない。
目指していた道は挫折という形で閉ざされた。

だが人生というものは不思議なもので、
一つの道が閉ざされた時、思いがけない出会いが待っていることがある。

その時に出会ったのが、後に妻となる女性だった。

二十七歳のとき、私は結婚した。
それから四十五年。

今振り返れば、この妻と出会えたことこそ、
私の人生の中で最も大きな奇跡だったのかもしれない。

結婚してからの人生は、
夢を追う青年の人生から、
家族を守る男の人生へと変わっていった。

その頃、私は水処理の会社に勤めることになる。

営業の仕事だった。

社内の人間関係は、正直に言えばあまり得意ではなかった。
しかし客先に行き、問題を解決する仕事になると、不思議と力を発揮することができた。

もともと製薬会社で分離精製の技術に関わっていた経験があった。
水処理の技術も、本質は同じ「分離精製」である。

その経験が役に立ち、私はすぐに技術営業として成果を出すことができた。

営業成績は、社内でもトップクラスだった。

しかし私の人生は、
一つの会社に落ち着くタイプではなかった。

大手の地場商社の非常勤顧問のような立場にもなり、
半ば独立のような形で仕事をすることもあった。

その頃、私はある新しいテーマに挑戦する。

「物から心の時代へ」

そんな理念を掲げて、
絵画のリース事業のフランチャイズに参加した。

全国コンテストでは三位の成績を取るほどだった。
しかし現実は厳しかった。

理想だけでは生活はできない。

結局、この事業は挫折することになる。

だがその時、
人生の中で忘れられない二人の経営者に出会った。

一人は、地元の商社の社長。
もう一人は、フランチャイズグループの会長。

その会長は、岡山のカバヤ食品の元社長だった。

ある日、食事をご一緒したことがあった。

私が娘にカバヤのお菓子を持たせていたところ、
その会長はとても喜んでくれた。

そしてこう言った。

「お前は金をつくる苦労からすることが大事だ。」

本来なら一千万円近い負債が残るはずだったが、
その多くを免除してくださった。

その時、私は思った。

本当に優しい人とは、
強い人のことなのだと。

そして、経営者という仕事は
人間として成長する一つの道なのかもしれないと。

その後、私は再び企業に勤めることになる。

経歴を買われ、
環境事業部の新規事業担当として採用された。

しかしそこは、
決して楽な環境ではなかった。

三か月で成果を出さなければ席がなくなる。

まさに「針のむしろ」のような環境だった。

それでも、私は結果を出してきた。

だが同時に、
「この会社にずっといるわけではない」
という思いもどこかにあった。

この頃、会社をいくつか変わることになる。

半ば独立のような働き方で、
七年ほどの間に三社を経験した。

給料は、不思議と転職するたびに上がっていった。

しかしその裏には、
家族の大きな支えがあった。

結婚してからの引っ越しは、
独立や事業立ち上げも含めて十回以上になった。

そのたびに妻は、
文句一つ言わず、新しい生活を整えてくれた。

子どもが小さい頃、
数年だけパートで働いてくれたこともある。

それ以外は、
私は妻を外で働かせることなく、
なんとか暮らしてくることができた。

それは運が良かったのだと思う。

妻は経理や事務の仕事はあまり得意ではなかった。
しかし人としての優しさは、誰にも負けない人だった。

私たち夫婦は、
世界的に見ても仲の良い夫婦ではないかと、
密かに思っている。

私は結婚前にカトリックの洗礼を受けた。
妻も結婚前に洗礼を受けた。

妻には不思議な感性があった。

教会に初めて入った時、
祭壇が光に包まれてキラキラして見えたと言って、
とても感動していた。

Thinking about it now,
あの頃から妻には特別な感受性があったのかもしれない。

結婚して間もなく、
私たちは実家の近くの部屋を借りて暮らし始めた。

母は料理がとても上手で、
小料理屋のようなこともしていた。

ある日、神戸牛のステーキ肉を二枚くれた。

ところが出てきた料理は、
油の中で泳ぐような素揚げのステーキだった。

妻は貧しい家の育ちで、
ステーキを食べたことがなかったのである。

今思い出しても笑える話だ。

しかし今では、
妻はとても料理が上手だ。

何を作っても美味しい。

私は若い頃、
この妻が神から与えられた宝だとは気づいていなかった。

むしろ悩んだことさえあった。

なんと愚かなことだったのか。

最近になって、
この妻の女神のような優しさを、
苦しい時ほど感じるようになった。

今、私の一番の楽しみは、
仕事が終わった後に妻とドライブすることだ。

温泉が好きな妻と、
神社と温泉を巡る小さな旅をする。

おそらく普通の夫婦の
十倍くらいは行っているのではないだろうか。

そんな人生の中で、
私はついに東京へ出ることになる。

ベンチャー企業の事業部長として、
地下水膜処理による飲料水事業を立ち上げた。

この事業は急成長した。

事業部設立から半年で
十億円の受注。

その後、年商五十億円の事業へと成長する。

やがて会社は大企業の子会社に吸収される。

しかしこの技術こそが、
後に私が取り組むことになる

地下水空調技術

の原点となった。

地下水膜処理による飲料水事業は、
業界としては年商二百億円規模だった。

しかし私は思った。

この技術を応用した
自然エネルギー空調の市場は、
その百倍はある。

And now,
私は再びこの事業に戻ってきた。

人生は、
遠回りをしているようでいて、
最後には元の道に戻ってくるものなのかもしれない。

まるで水が、
長い流れの中で海へ戻るように。

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