Chapter 10: How I Was Able to Rise Again as an Engineer After Bankruptcy

会津に本社を置き、
50万坪の土地にひとつの「郷」をつくる構想を描いていた。

名前は
Elemental Life Community.

自然と共に生きる、新しい社会のかたち。
その第一歩として、5万坪の計画が動き始めていた。

そしてその矢先、
50億円規模のミネラルウォーター工場の内示を受ける。

すべては、順調に進んでいるように見えた。

だが、突然すべてが止まる。

施主であるオーナーが、逮捕された。

計画は凍結。

すでに投資をしていた私は、
日本本社、シンガポール、マレーシアの3社を
同時に整理せざるを得なくなった。

幸いにも借入は銀行のみ。
顧問弁護士と共に整理は進み、
債務はすべて消えた。

But at the same time,
家も車も失った。

50歳。
まだ働ける年齢ではあったが、
手元の貯金はゼロ。

「皿洗いでもするか」

そう思った時だった。

韓国の提携先の社長が、
すぐに私を技術顧問として迎えてくれた。

破産整理が終わった直後、
1月3日には40万円が振り込まれていた。

その支えは、数年続いた。

その会社は当時まだ小さく、
半導体不況で社長が疲れ果てていた時もあった。

それでも彼は、
私への顧問料を一度も止めなかった。

やがてその会社は成長し、上場を果たし、
日本の大手企業とも合弁を持つ優良企業となる。

20年経った今も、
その社長とは良き友人である。

借金はゼロ。
固定費もゼロ。

生活には困らない。

だが、私は気づく。

「暇だ」

毎週、妻と温泉に行く。
穏やかな日々。

だが、私は仕事をしていないと
どうしても落ち着かなかった。

そこで、再び動く。

リクルートで仕事を探し、
新規事業部長として採用された。

月給50万円。

破産から3ヶ月後、
収入は月90万円になっていた。

再び、技術者として立つ。

その会社は、
半導体のシリコンウエハー再生や
貴金属回収で急成長していた。

年商100億円規模。

私はそこで、再び環境装置事業に取り組む。

やがて海外案件へ。

フィリピン、マニラ近郊。
官庁系のごみ処理プラント。

市長との強いコネクションを持つ日本人実業家との出会い。

元プロ野球選手とも親しく、
グアムのホテル王とも呼ばれる人物だった。

市長は言った。

「お前に任せた」

フィリピンの政治は、日本とは違う。
力と金が混ざり合う世界。

だがプロジェクトは進む。

100億円規模の計画を、
20億円で実現する仕組みを作り上げた。

だが、またしても転機。

会社の社長が、
私を外し、自ら案件を握った。

私は、即座に辞めた。

その後、プラントは受注される。

一方で、その社長は
急成長の中で別の世界に飲み込まれていく。

政治、金、権力。

そして最後は——
破産と、自ら命を絶つという結末。

私は今でも思う。

彼は、良い男だった。

そしてまた、挫折。

だがここで終わらない。

再び独立し、会社を設立。

そしてここから——

人生最大の出会いへとつながっていく。

そして、なぜ立ち上がれたのか
理由はシンプルだ。

・人に恵まれた
・技術があった
・そして、動き続けた

人生は、何度でも崩れる。

だが、
何度でも立てる。

その条件は、ただ一つ。

止まらないこと。

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