Chapter 8: Sincerity Brought About a Connection from a Distant Land

東京に出て、私は地下水膜処理の事業を立ち上げた。
事業部長という立場で、短期間のうちにその事業は軌道に乗った。
しかし成功の裏では、奇妙なことも起きていた。
会社の社長は、どうやら私を疑っていたらしい。
「こんな儲かる事業を作った男が、自分でやらないはずがない」
そんな疑いから、社長は部下を私の“監視役”としてつけていたという。
その若い社員は真面目な人だった。だが、その役目に耐えられず、やがて精神的に追い詰められ、ノイローゼになってしまった。
だが、当時の私はそんなことにまったく関心がなかった。
私が考えていたのは、ただ一つ。
妻と安定した生活を築くこと。
それだけだった。
事業を自分のものにするなどという考えは、一度も浮かばなかった。
私はただ、安定した会社で仕事を続けたいと思った。
そうして見つけたのが、半導体装置用の計測機器を作るメーカーだった。
流量計という分野で高い技術を持つ会社で、新規事業の責任者として来てほしいという話だった。
給与も、ほぼ同じ条件だった。
ただし社長には一つだけ希望があった。
「この部門で、私の息子を育ててほしい」
その息子は三十歳になったばかりだった。
私は少し考えてから、こう答えた。
「それなら、その方を事業部長にしてください。
私は補佐として働きます。」
社長は驚いた顔をしたが、やがて笑って言った。
「わかった。頼む。」
その若い後継者は、優秀な人物だった。
父親譲りの強さを持ち、そして人に好かれる人だった。
新規事業は環境装置の分野だった。
オゾン処理装置や分離精製装置などを、半導体メーカー向けに展開する。
私はそれまで何度も新規事業に関わってきた。
新規事業というものは、最初は必ずトラブルが起きる。
しかし、うまくいき始めると今度は別の問題が生まれる。
「もしあいつが成功したら、俺はどうなるんだ」
そんな声が社内に生まれる。
役員の反発。
足の引っ張り合い。
私は何度もそれを経験してきた。
だが、この会社では事情が違った。
彼は間違いなく、数年後には社長になる人物だった。
だから社員も幹部も、皆が彼を助けようとしていた。
私はその若い後継者の影に隠れるように働き、
とても居心地のよい時間を過ごすことができた。
そしてこの会社で、私の年収は初めて一千万円を超えた。
この仕事の中で、
後の人生につながる象徴的な出来事が起きる。
私の専門分野の一つは、
半導体工場の超純水システムだった。
半導体工場では、一日に数万トンという膨大な水が使われる。
その水は地下水を利用することが多い。
そしてその水は、極限まで純化される。
イオン交換
膜分離
活性炭処理
いくつもの技術を組み合わせて、
水は限りなく純粋な状態へと変わる。
さらに半導体工場では、水の約70%が再利用される。
私はかつて
排水ゼロの100%クローズドシステム
にも関わったことがある。
この分野には、一般にはほとんど知られていない高度な技術が数多く存在している。
あるとき、日本を代表する家電メーカーの半導体工場で問題が起きていた。
半導体の製造工程には
CMP(ケミカルメカニカルポリシング)
という重要な工程がある。
シリコンウエハーを、超微細な粒子を含む液体で磨く工程だ。
粒子は0.2ミクロンほど。
しかし生産ラインではトラブルが頻発していた。
粒子同士が結合し、
1ミクロン以上の粒子になってしまう。
その粒子がウエハーに傷をつけるのだ。
生産ラインは大きな問題を抱えていた。
そこで研究所に、対策の開発が依頼された。
私はその研究所と共同で、この問題に取り組むことになった。
研究所には東京大学出身の博士が多く、
世界レベルの研究者が集まっていた。
彼らは一つの技術をとことん掘り下げる。
世界中の情報を集め、
深く研究する。
私は逆だった。
一つを深く掘るタイプではない。
しかし多くの技術を広く知っていた。
だから、
「この技術と、この技術を組み合わせれば解決できる」
そんな提案をすることが多かった。
ある日、主任研究員に言われた。
「あなたのような人が、なぜそんな会社にいるのですか?」
少し不思議な褒め言葉だった。
しかし、この出会いが後に大きな縁を生むことになる。
I
超高速液体サイクロン
という技術を提案した。
サイクロンとは遠心力で粒子を分離する装置だ。
ダイソンの掃除機などにも使われている技術である。
通常の液体サイクロンでは
分離精度は10ミクロン程度。
しかし私は装置を小型化し、高速化することで
2ミクロンまで分離できる装置を作った。
研究所はその技術に興味を持ち、
500万円のテスト装置を発注してくれた。
もしメインラインに採用されれば、
装置は1億円規模になる。
テストは成功した。
だが、そのとき私はある事実に気づいていた。
CMPスラリーのメーカーは世界に二社ある。
そしてその工場が使っていない方の薬品では、
同じトラブルがほとんど起きていなかった。
私は主任研究員に言った。
「まず薬品を変えてみませんか」
結果はすぐに出た。
トラブルは消えた。
つまり、
私の装置は不要になった。
会社の利益だけを考えれば、愚かな判断だったかもしれない。
しかし私は、
「正しいことは伝えるべきだ」
としか思わなかった。
ところが、その後奇跡が起きた。
その研究員は、
私の技術を学会で発表してくれていた。
その論文を見たのが、
韓国の装置メーカーの社長だった。
その会社はまだ小さな企業だった。
しかし主要取引先は、半導体分野で世界トップのメーカーだった。
そしてその社長は、
もともとそのメーカーの技術部門の幹部だった人物だった。
独立して、自分の会社を作っていた。
その社長は研究員に問い合わせた。
すると研究員はこう言った。
「それは木村さんの技術です。
直接連絡してください。」
そして私の連絡先を教えてくれた。
この出来事は、
私の仕事人生の中でも最も嬉しい出来事の一つだった。
韓国の社長からすぐに連絡が来た。
私は韓国へ飛んだ。
契約はすぐに決まった。
5000万円の装置を2台。
半導体のメインラインへの導入だった。
それ以来、その社長とは
25年以上の友人関係が続いている。
私が苦しい時には、
技術顧問として迎えてくれたこともあった。
彼の会社はその後、
株式上場を果たした。
And now,
これまでの三倍規模の巨大工場を建設しているという。
さらに現在、
私が取り組んでいる
自然エネルギー空調
の事業についても、
来年から一緒に取り組もうという話が出ている。
私はこの出来事から、
一つのことを学んだ。
正しいことを、損得を考えずに行うと
人生は遠回りしてそれを返してくる。
しかも、
思いもしない形で。
技術は大切だ。
しかし人生を動かすのは、
技術だけではない。
誠実さと縁が、未来を作る。
そしてその縁は、
国境さえ越えて続いていく。



